非モテ男よ、奢るべからず

 しばらく放置しててすみません。前回の記事はまた別の形でまとめますが、その前に別の話を。 瀧澤氏のこちらの記事で提示されている、「食事の際、男が女に奢るという慣習」に対する疑義についてです。

 まず、瀧澤氏の主張は、 「奢られ慣れていない女性にとって、奢られることは心理的圧力にもなりうる」 「『男が女に奢る』を当然とみなすことで得をするのは、奢られ慣れている女性だけだ」 というもので、私もこれにほぼ全面的に賛同します。
 しかし、これに対し、コメント欄でsho_ta氏から次のような反論が述べられました。

で、「原則ルールはあったほうがいい」派の私としては、「割り勘」、「女が払う」、「男が払う」の三択であるならば、「男が払う」が一番無難だと思うわけですよ。理由は簡単で、男が誘うケースのほうが事例として圧倒的に多く、かつそのほうが男(特に非モテ童貞)が女を誘いやすいからです。

 さらにこれに対し、rAdio氏が次のようなブックマークコメントを付けています。

rAdio Comment, Recommend, Notice コメント欄も良い。『原則ルール』…これ大切。何よりも大切。これがないと「コミュニケーション」をせざるを得なくなる。「原則ルール」はコミュニケーション弱者にこそ必要なもの。

 一般にコミュニケーション技術が苦手とされる「非モテ」にとっては、「奢る/奢られる」というコミュニケーションに対しても「とりあえずどうすればいいのか」という「原則ルール」が必要だ、というわけですね。この考え方自体にも異論のある人も居るでしょうが、今回は「原則ルール必要論」自体の是非は問いません。「原則ルール」が必要だとした上で、尚「非モテ男性は奢るべきではない」というのが私の結論です。何故そう言い切れるのか、幾つかの側面から見ていきましょう。



 まずは同記事の最後の一節と、それに対する古澤克大氏のコメントから。

 とはいっても、結局は男の方が抜け駆けしようと思うんだよな。

 見栄を張って抜け駆けしようとする。それで後になってから「男ばっかり払わせられる」なんて愚痴ってたら世話ないわな。
抜け駆けが出るというのは、スト破りをどうするかって問題と同じですよね。スト破り対策ならピケ張ればなんとかなりますが、レストランでピケ線張る訳にはいきません。とはいえ、この奢りの構造が抑圧の構造というのはご指摘の通りだと思います。

 この「抜け駆け」とは、「他の男性がみんな『割り勘』を前提としているのに、一人だけ『女性には奢る』という態度を採る」ような状況を意味しています。古澤氏はこれをスト破りに喩えているわけですが、これが間違いです。スト破りの場合は「裏切った一人だけが利益を得る」というニュアンスがあるわけですが、この場合はそうはなりません。話題の発端となったb_say_so氏の記事を見てみましょう。

会費徴収の時だった。一人3000円という計算だった。迷わず出そうとしたそのとき。
男1「え?女の子も3000円でいいの?」
私「いや、べつにいいし」
男2「え、別によくね?」
男3「えーと、まぁじゃぁ全員3000円で!これがほんとのジェンダーフリー!」
その他「爆笑」

あまりの無邪気さに倒れそうになった。生物学的に女なのは私しかいなかったし、酔っ払いの言うことなので気にとめはしないが、飲み会費を全員一律に払うことでジェンダーフリーと軽々しく言えてしまう彼らの無邪気さがむしろうらやましかった。

 ここで「女性には奢るべきではないか?」と言い出した男性(及びそれを自明とするような発言をした男性)は、この場でただ一人の女性であるb_say_so氏に不愉快な思いをさせただけです。これが大勢の飲み会でなく一対一の場であっても、さほど状況は変わらないでしょう。「割り勘を当然と思っている女性」に対し、「男は女に奢るのが当然」という態度で臨むことは何のプラスにもなりません。「抜け駆け」は無意味どころかマイナスなんです。ヘボメガネ氏は「男の甲斐性のアピール」というメリットを挙げておられますが、そんなものに興味のない女性にとっては何の意味もありません。せいぜい男性同士の見栄の張り合いでしかないわけです。

 では、「男性に奢られたい(あるいは奢られるのが当然)と思っている女性」の場合はどうでしょうか? これについては、大野氏のこちらの記事を見てください。

しかし女に奢りっぱなしでは、男の方が損なだけである。回収できないお金を男が使うわけがない。ボランティアじゃないのだ。上司が部下に奢るのだって、会社の人が取引先を接待するのだって、何らかのバックを計算してのことである。そこで女は化粧し美しく着飾ることで、まず男の目を楽しませるよう務めた。精一杯おしゃれしてきた女を見て男は喜ぶことを、女はよく知っている。

 一般に人間関係には、いわゆる互酬性の原則があります。「奢るということは何らかの見返りを求めている証」なのであり、だからこそ「奢られることが心理的な圧力になりうる」わけです。もう少し言えば、「奢り/奢られ」は互酬性を前提としたコミュニケーションの一形式と捉えることも出来ます。
 つまり、こうした女性に「奢る」ということは、「私は貴方に見返りを期待していますよ」というサインになってしまうわけです。こういうサインを出した時点で、「空気を読んで見返りを期待する/期待に応える」という高度なコミュニケーションを行うことを余儀なくされてしまいます。そして、非モテ男性は大抵そんなものに慣れていません。一般に非モテは非言語的コミュニケーションを苦手としている場合が多いでしょう。
 そして、「奢ったから」といって「奢られたい女性」側からの評価が変化するわけでもありません。「奢られたい女性」の方も、男性の側を総合的に判断します。奢ろうと奢るまいと非モテ非モテです。

 まとめると、「奢られたくない女性」に対しても「奢られたい女性」に対しても、非モテ男性が「奢ること」は無意味かマイナスであり、敢えてハイリスクノーリターンな選択肢を選ぶ理由はどこにもない、ということです。奢りたい男性には勝手にそうさせておけば良いでしょう。非モテ男性諸氏は「奢ることで男の甲斐性をアピールできる」などという妄想はとっとと捨てて、「相手が女性だという理由で奢るべきではない」という理に適った「原則ルール」を身につけるべきだと思います。



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