萌え論が「男女差」を捏造する

 はてなアンテナを今更導入してみたついでにダイアリーのテーマを変えてみました。気まぐれにまた元に戻すかもしれません。

 さて、今回は萌え理論に関するMaybe-na氏のネタフリに早速応えてみようと思います。
 というわけで、引用はsirouto2氏のこちらの記事より。

なぜ、やおいに相当するジャンルが男性にはないのか

もちろんショタ・百合・ふたなりというジャンルはある。しかし、女性のやおいほどの大きな割合ではないし、質においても違いがある。そのメルクマークは「A×B」というキャラの関係性の表記である。これを「B×A」にすると意味が変わってしまう。(だから「×」は四則演算の積ではない。「→」と記した方が分かりやすいかもしれない)このような表記は男性向けの同人誌では見かけないだけでなく、男女の非対称性の本質をなす。
(中略)
マリみてのような百合ものはある。しかしたいていの読者は、自分が「誰が好きか」にはこだわるが、「誰と誰が結ばれるか」さらには「誰が誰に対して好きなのか」という方向性には、それほどこだわらないのではないだろうか。端的な例を出すと、男の場合はヒロインがただ一人でいても、そういう一枚絵やフィギュアがあっても、もっと言えばヒロインが一人でオナニーしていても、それはそれで十分魅力になるだろう。それは「その」ヒロインが好きだからである。対して女性のやおいにおいては、そのような単体キャラの消費はあまり見られない。

 こういった主張はsirouto2氏に限ったことではなく、萌え論といえば大抵はこれに近い論理にぶつかります。しかしこの理論は現実の「萌え」市場に即したものとは到底言えません。Maybe-na氏は「ゲイジャンルやヘテロ男性以外の百合ファンの黙殺」を問題としておられますが、それ以外にも上記の引用箇所には色々問題があります。

 例えば、百合ものが「誰と誰が結ばれるか」に拘らないというのは、百合ジャンルをよく知っている人なら即座に嘘だと分かります。やおいが比較的「受け攻め」がはっきりしているのに対し、百合はその傾向がやや薄い(つまりリバが多い)という傾向は若干ある気がしますが、これは「『誰と誰が結ばれるか』に拘らない」のとは全く違いますし、この傾向にあてはまらない百合ややおいも勿論あります。
 さらに、「女性のやおいにおいては、そのような単体キャラの消費はあまり見られない」というのはsirouto2氏がやおいジャンルに詳しくない証拠で、彼は「単体萌え」という言葉を知らないんでしょう。また、「ヘテロ男性は単体のヒロインに萌えられればそれで充分」なのであれば、そもそも百合ファンにヘテロ男性が多く居る理由が説明できません。

 細かいツッコミを入れていくとキリがないのでこの位しておきますが、ここで疑問となるのは、「なぜsirouto2氏は現実の『萌え』を曲解してまで『男女差』を強調しようとするのか」という点です。sirouto2氏の「誤解」は、全て「萌えの男女差を過剰に大きく見積もる」方向になっているんですね。
 sirouto2氏は誤解に基づいて「オタクの男女差」を強調した上で、さらに次のように述べています。

この現象を一般化すると、男の欲望は階層型なのに対して、女の欲望は方向型というふうに分けられる。男は上下関係を気にするのに対して、女は「誰が誰に」というネットワークの経路に対する感受性がある。つまり、男は縦で女は横の情報処理をするというイメージだ。

もっと具体的に言うと、女の長話は経路のトレースが多いが、男はそれを面白いと思わない。(女「AちゃんがBちゃんに○○するとCちゃんが…」男「ふーん」)また、女が男の話をあっさり他人のネットワークに放流してしまうのを快く思わない。女が形成する集団はP2Pなのだ。だから休み時間に誰とトイレに行くか、昼飯を誰と食うか、いちいちクネクネして決めたりする。接続先のポートを探索しているのだ。

更に大きく出れば、男には真の意味での人間関係が存在しない。いつどんなときでも「俺ならこうする」かそれを理想化した「○○(社員・男・大人・人間…)ならこうすべし」という風に考えている。これは先の主人公による中心化と同じ構造である。

 先の「萌え」分析が現実に即していない以上、上記の分析も「あやしい」ものだと言えます。しかし先ほども述べたとおり、sirouto2氏は百合ややおいにあまり詳しいようには見えないため、この結論がそもそも萌え論から帰納的に導かれたものかどうか、という点がそもそも疑問です。
 つまり上の文章は結論ありきの文章であり、sirouto2氏は、最初から「ヘテロの)男には真の意味での人間関係が存在しない」と言いたいために「萌え」を持ち出した、としか思えないんですよ。「オタク論」は「男女における人間関係の質の違い」を強調するためのアクセサリーみたいなものではないでしょうか?

 このような分析は別段真新しいものではなく、「萌え論」はとかく「男女差を強調する言説」を再生産するための理屈として流用されがちで、殊に「やおい」に関してはこの傾向が顕著です。上のsirouto2氏の分析などはピーズ夫妻の「話を聞かない男・地図が読めない女」などと根本的には大差がないと言ってもいいでしょう。なぜ敢えて「萌え」が援用されるのかはよく分かりません。ただはっきりしているのは、こうした言説が「萌え」への偏見をも同時に再生産している、ということくらいでしょうか。

 不思議なのは、最初から結論ありきのような「やおい論」が大抵「やおい」の外部の人間から出されているのに対し、オタク男性へのこうした「萌え論」の多くはオタク男性自身によって出されていることなんです。「萌え論」とは一部のオタク男性による、「萌えていることへの言い訳」なのでしょうか?



(5/1深夜追記

 萌え理論blogのsirouto2氏から早速反論が。しかし、うーん…。

 特に後者が強く批判しているので簡単に反論しましょう。どうみても女のやおいの方が男の百合よりその市場に占める割合が多そうです。ありがとうございました。…腐兄も単体萌えも補足的事項でしょう。もちろん、そうした性差は生来的に決まっているだとか、これからも固定されるべきだ、とは言っていません。

 もちろん、やおいの方が百合より市場規模がはるかに大きいのは周知の事実なんですが、その規模の差に拘るのなら「百合」ジャンルそれ自体を「補足的事項」にしてしまえばいいような。少なくとも百合ファンのヘテロ男性に関してはsirouto2氏の分析がほとんどあてはまらないのは確かで、百合を持ち出した以上はその「反論」は通りません。sirouto2氏の論は「鳥は空を飛ぶ。例えばペンギンやダチョウは空を飛ぶのだ」と言っているに等しく、私の指摘は「空を飛ぶ鳥もいるかもしれないが、ペンギンやダチョウに関してはそうではない」ということなんですよ。

 sirouto2氏が「ヘテロ男性のための萌えジャンル」全般の傾向について述べたかったのは分かるんですが、そこで(おそらくあまり詳しく知らない)やおいや百合、ショタジャンルを引き合いに出したのはやはりマズいと思います。sirouto2氏の述べたかった「萌えジャンル」全般の傾向が仮に概ね正しかったとしても、これらの「例」は「例外」に当たるものなんですよね。
 萌え論を語る人達が、その知識がないにも関わらずやおいや百合を独断で語ることがあまりに多いので、つい攻撃的な論調になってしまったことにはちょっと反省。

 ただし、「百合やショタなどのジャンルを除外すればsirouto2氏の主張は正しいか」といえば、私は「それも違う」と考えています。これについては追記では間に合わないので、いずれまた別記事を立てて論じてみたいと思います。