kikunosuke_a氏の陰謀

 久々の更新です。
 いくつか取り上げたいネタはあるんですが、まず先に「宿題」を片付けてからにしようと思います。話題がやや特殊な上にいつも以上の長文なので、「続きを読む」記法にしておきます。「Web上における言論の信頼性」の問題に関心がある人のみどうぞ。

 宿題というのは、以前に議論した素朴な疑問(kikunosuke_a)氏のこちらの記事のことです。(元URLはこちら。) 多少時期を逸してはいますが、kikunosuke_a氏は返答をわざわざ3週間も待っていてくれる人だから大丈夫でしょう。

 とりあえず、経緯を簡単に説明しておきます。
 まず、umeten氏の提唱する恋愛普遍主義概念に対する疑義として、kikunosuke_a氏は「『恋愛感情』を伴う諸行為は、両性として分かれた動物なら、本能として刷り込まれていて当たり前」と主張しました。それに対して私が反論したのがこの記事です。以降、前回の記事に至るまで1週間ほど論の応酬が続きましたが、kikunosuke_a氏側から一方的に打ち切られる形で議論は終わりました。

 その後しばらく、kikunosuke_a氏は「非モテ」に関する考察をブログに書き続けますが、特に大きな反響はなかったようです。氏が注目を集めたのは、2月10日のこの記事からでした。

 私、「HN:素朴な疑問」のネットにおける活動「そのもの」が、全て、ネタです。ネタなの。ぜーんぶ、ネタなんだってば(笑)
(中略)
 基本的に、ぜーんぶ、ネタです。リアルの私がマジでここで書いたような事を思っているか? ぜんぜん思ってません。
 「動物にも恋愛感情がある?」 そんなこと、その動物自身にしかわからん話だろ。確認のしようがない。現時点では「不明」だろ、科学的に正しい捉え方としては(笑) で、持っていようがいまいが、今の人間社会を考慮するにあたって、なんの影響もありません。その意味で、どうでも良い話です。もしかすると、遠い未来にはそれを考慮する必要は出てくるかもしれませんが(笑)
 そして、ぶっちゃけ、「非モテ」自体、どーでもいいと思ってます。勝手にこじらせてろ、って思ってます。こじらせてて鬱屈を溜めているだけで物事が解決するんなら、誰も苦労しないってーの。モテがなんの苦労もなくモテでいると思っているのかねぇ? そもそも、なんだよ「モテ・中間層・非モテ」構造って(笑) 人間関係がそんな単純な構造なら、私がやらなくても、すでに誰かが構造分析をやってるわい(笑) 第一、その気になればもっと細かい構造を考えて分析できるってーの。それもインチキにしか過ぎないけど(笑) つーか、私が提示するまで、マジで「モテ/非モテ」の二項対立で話がつくと思ってたの? その「非モテ」側の脳みその単純さが信じられません(笑)

 これに対する反応は(氏自身が述べている通り)それなりに大きなもので、ブックマークコメントでも罵倒に近い批判が幾つか書かれています。益田ラヂオ氏はこのkikunosuke_a氏の「ネタ宣言」に対し、次のような困惑を表明しました。

 あまり「ネタ逃げ」とかそういう理由で責めるようなことはしたくないのですが、こういう態度の人と *真剣に* Web上で論理だけを用いて話をさせてもらうには、どうすればいいのでしょうか?
(中略)
 今回の「素朴な疑問」さんの場合ですと、メタな態度ではあったものの、当初は議論の前提や構造にある程度のっとって、「対話方式」を採用されていたわけです。

 ところがここへきての、「今まで論じてきたものは全部ネタなので、反応したヤツは全員バカ認定お疲れ様でした。本当の自分はそんなこと考えてませんし、どうでもいいですよ」という卓袱台返しは、俺のように、対話の可能性があるように見えるものに対しては、とりあえずベタに反応するタイプの人間にとっては、梯子を外されたようで、どうにもこうにも、対処の仕様がありません。

 つまり、ここで問題にされているのは「Web上の匿名議論の信頼性」という問題であるわけです。kikunosuke_a氏はその信頼性を損なったと見なされたために非難を受けた、と言うことができます。そしてkikunosuke_a氏は、さらに3週間後のこちらの記事で、この点に自覚的であったと主張しました。

 「タネあかし。」を含めた一連の行動は、最初から「みなさんを混乱させる」ことを狙っていた行為だった、といったら、みなさん、どう思うんでしょう?
 私は、みなさんの「メディアリテラシー」の高さを期待して、「タネあかし。」を含む一連の行動に対して、「混乱せずに、ただ無視される」ことを予測してました。「電波認定」されておしまいだと。ところが、結果は、悲しいまでの混乱ぶり。
(中略)
 私が行ったことは、例えて言うなら、「ブログを使った」「非モテコミュニティ」に対する「言論を武器とした」「自爆テロ」のようなものです。
 それが、「どの程度の混乱を引き起こすのか」を「確認する」ための実験のようなものでした。
 そして、私は、「この程度では混乱は起こせない」ことを期待してました。つまり、自分の行為は「華麗にスルー」されると。事実、私の「電波」ブログは、そもそも多くの人に見られていなかったのだから。「タネあかし。」に怒りを感じるのは、実際に「対話」をした数人だけだろう、と。
 ・・・でも、現実は違いました。開設から二週間で500アクセスもなかった極小サイトが「ネタ宣言をしただけ」で、アクセスは急増、言及ブクマ、関連言及エントリは乱立、アルファブロガーまでが意見を述べる始末です。どういうことですか? どういう事態ですか。この混乱っぷりは。

 この現実を、はてな村のみなさんは、もっと冷静になって考えたほうがいい。

 私は、「意図的に混乱を引き起こせる可能性を示す」ことで、「ブログコミュニティが持つ脆弱性」の問題を提起した。この問題について、どう対応すべきかは、シリアスに検討・議論すべきだと思う。それは「情報の信頼性」に対する客観的な担保・判断の基準・評価に関する問題であって、「個人が相手を、どういったときに信用すべきか」などというような、「個人の判断」に還元すべき問題ではない。
 誰かが、意図的に、悪意を持って、「コミュニティ」に混乱をもたらし、コミュニティを構成するメンバーに、相互に不信感を植え付ける事を目的として、私と同じような活動していたら、どうなるのか。今回、混乱させられたコミュニティの内部に、いまだ、私と意見を同一にする内通者がいたとしたら、どうするつもりか。

 この先にある、「ある事態」に気づいてくる人間が、少しでも増えてくれる事を祈ります。

 確かに、kikunosuke_a氏の「ネタ宣言」に言及している人達はある意味「混乱していた」と言えるでしょう。最も顕著なのは、シロクマ氏のこちらの記事での議論です。

 もし、ハンドルネームに人格表象が十分形成されている人が酷い振る舞いを仕掛けてきたなら、釣られること自体は必ずしも悪いことではない。むしろそのシチュエーションを周りの人に観てもらって、相手のネット人格の品位なりデリカシーなりが際立つように振舞えば復讐戦略が成立する。(中略)要は、あなたの振る舞いが相手の振る舞いよりも「ちゃんとしているようにみえればいい」というシンプルな話である。
 ただし、このようなネット処世には少なくとも二点、留意しなければならない問題がある。

 まず一点、ネット上の「人格担保」が明確でない対象・匿名の投稿に対しては、こうした応報戦略・復讐戦略は通用しないということだ。「ハンドルネーム○○さんはかわいそうな子」というダメージを相手に与えようにも、もともと捨てハンだったり匿名だったりした場合にはそもそも貶めるべき人格が存在しない。(中略)よって、釣りか否かを判断する材料も乏しい匿名からのコメントは、私は完全に無視しているし、そもそもわざわざ読もうとも思わない。
 真に問題になるのは(そして常に気にかけるべきは)、あなたが釣られたか罵倒されたか勝ったか負けたかではなく、その釣りや罵倒のエピソードを通して、あなたのネット表象がどのような評価を蓄積させたか、ではないだろうか?

 ここでシロクマ氏は、「Web上でどのように評価されるか?」を軸に論じようとしています。しかし、これはよく考えてみれば変な話です。「Web上での評価」がいくら高かろうと(あるいは低かろうと)、「議論の妥当性」には何の関係もありません。

 益田氏が懸念した問題はあくまで「議論自体の信頼性」のはずです。にも関わらず、この問題は「『釣り』にどう対処するのか」という問題の前に埋もれてしまいました。いつのまにか、「議論の信頼性を保つ方法」が「釣られてもプライドを保つ方法」「釣られてもWeb上での評価を下げない方法」へと摩り替えられてしまったわけです。
 シロクマ氏は「勝ったか負けたかは問題ではない」と述べておられますが、「Web上の評価」を中心的な問題とみなしている以上、やはり(Web上での評価の高低という意味での)「勝ち負け」に拘っていると言えます。

 問題はあくまで「勝ち負け」ではなく「議論の信頼性」なんです。そこに注意して見れば、「結論」は全く異なったものになってきます。



 さて、もう一度益田氏の記事に戻ってみましょう。

「今まで論じてきたものは全部ネタなので、反応したヤツは全員バカ認定お疲れ様でした。本当の自分はそんなこと考えてませんし、どうでもいいですよ」という卓袱台返しは、俺のように、対話の可能性があるように見えるものに対しては、とりあえずベタに反応するタイプの人間にとっては、梯子を外されたようで、どうにもこうにも、対処の仕様がありません。

 「卓袱台返し」とは、一度述べたことを引っくり返し、「なかったこと」にする、という程の意味です。kikunosuke_a氏はまさにそれをやっているように見えます。「今まで書いてきたことは全部ネタです」と言っているんですから、余計にそう見えます。

 しかし、よく考えてみてください。長期間に渡って無目的に「全く興味のない事柄」に関する長文を書き続ける人というのは、どこかおかしいと思いませんか? それが「ネタを仕掛けて釣る」というモチベーションに支えられたものであるにしても、長文を綴る労力だけでも半端なものではありません。筆者が「どうでもいいこと」を書き綴っていたとは考えにくいわけです。
 このことを頭に入れた上で「ネタ宣言」の、そして最新の記事の文章を比較すると、ある単純な事実が分かります。すなわち、非モテ」に関する態度・発言内容にほとんど変化が見られないという事実です。

 要は、kikunosuke_a氏の「ネタ宣言」は「卓袱台返し」でもなんでもない、ということです。氏は「非モテ」言説に対して確固たる持論と何がしかの強い感情を抱いており、それを動機としてこれまでの文章を書いてきた、ということが容易に推察されます。

 仮にkikunosuke_a氏の「興味のない事柄だった」という発言を信じたとしても、事態に特に変化はありません。というより、「ネタ宣言」自体が 「こんな問題についてくだくだと語ってるけど、本当は自分は興味ないからね。こんなのに本気でついてくる奴は馬鹿だからね」 という、他人にとってはどうでもいい宣言でしかないわけです。「語り手が語っている問題に興味があるか」は「問題そのものの妥当性」とは無関係でしょう。論者があとで「あれは無意味でした」と言ってみたところで、その議論内容そのものが「無意味」になるわけではありません。例えば、特殊相対性理論を発表したアインシュタインが後で「あの理論は全くのデタラメだった」と言ったところで、特殊相対性理論そのものが無意味になるわけではないのと同じです。
 このような「ネタ宣言」が意味を成すのは、優越感ゲーム」を前提にしている場合だけです。益田氏は「優越感ゲーム」を自明としないのであれば、このような「梯子外し」を懸念する必要などありませんでした。益田氏もシロクマ氏も、kikunosuke_a氏の「優越感ゲーム」の土俵に乗せられてしまっていたことになります。

 先程述べたように、kikunosuke_a氏の主張は「ネタ宣言」に関わらず一貫しています。私との「恋愛」の定義についての議論においても、それは同様です。氏は最新の記事で
(まぁ、その烏蛇氏も、自分が「恋愛」という「言葉」に「囚われているという事実」には、いくら説明しても、まったく認識/理解できなかったようですが。悲しい限りです。)
と述べていますが、これは「ネタ宣言」以前の氏の主張と本質的に差がありません。
 今回のkikunosuke_a氏の「問題提起」についても、氏の無意味な「ネタ宣言」さえ相手にしなければ、まともな「問題提起」として議論の俎上に乗せることもできるはずです。「問題提起」としての価値があると思えば、ですが。

 確かに、匿名の相手に対する「対話可能性」が維持されるかどうかは保証の限りではありません。しかし、ある議題に対する「検討可能性」「議論可能性」は失われることはない、と考えていいと思います。アラン・ソーカルの偽論文が混乱を巻き起こしたのは、彼の論文を雑誌編集者がきちんと「検討」しなかったからでした。そして、ソーカルは決して哲学の破壊者にはなっていません。



 以下は個人的な話です。kikunosuke_a氏が「ネタ宣言」を行った際、私から見て許し難いと思えたのは、氏が議論を放棄したことではなく、「ネタ」「釣り」を称したことそのものでした。

 氏は「ネタ宣言」を称しつつも実際には「卓袱台返し」をし切れていなかったわけですから、「ネタ宣言」は単なる議論の放棄以上の意味は持ちません。私には、議論の放棄のための口実として「ネタ」を称したようにしか見えませんでした。
 しかしながら、「ネタ」という言葉は決して「議論から逃げる口実」のためにあるわけではありません。Web上における「ネタ」とは匿名による一種の「芸」です。当然、そこには「芸としての評価」(つまりはネタとしてのクオリティ)がついて回ります。そして、そうした「ネタ」の数々がWeb独自の文化を築いてきたことも確かなんです。
 「卓袱台返し」すらまともに出来ない人物に「ネタ師」を名乗る資格は無い。私はそう考え、 「kikunosuke_a氏のネタ宣言は、本物のネタ師・釣り師に対する侮辱だ」 という内容の記事を書こうかとも思いました。結局書かなかったのは、あくまでこれが私自身の「ネタ」への思い入れに過ぎない、ということが分かっていたからです。

 今回、kikunosuke_a氏が「裏事情」をざっくりと語ってくれたおかげで、余分な推測・説明を最小限に抑えて「ネタ宣言」について述べることが出来ました。シロクマ氏や加野瀬氏「真剣に議論をしたいのなら相手を選べ」という論調に危惧を抱いていたため、kikunosuke_a氏の今回の更新は、私にとって渡りに舟だったと言えます。また、「優越感ゲーム」の感覚が当然のごとく受け入れられているという事実も、kikunosuke_a氏のおかげで明瞭になりました。この2点については氏に感謝すべきかもしれません。氏自身は単なる「卑怯で愚かな人物」に過ぎないとしても、氏の言説の周辺から読み取れるものは案外沢山あります。



(3/10追記
 kikunosuke_a氏から早速お返事がありました。今はちょっと余裕がないので詳しい話はまた後日にしますが、今回のkikunosuke_a氏の誠実な対応に感謝致します。