「草食系男子」の他称性と差別性

 お久しぶりです。

俺にとってセックスって、もう30年近く「自分の薄汚ねえ欲望で女の肉体を汚す行為」でしかなかったんだよ。だから、俺の性欲の対象は、相当に早い時期から二次元にしか向かわなかった。このへん烏蛇さんだったかな、自分の性欲について似たような感覚を持ってた記憶があるんだけど。ついでに言っとくけどなんか更新して烏蛇さん。ずっと待ってるんで。

 はい、すみません。 実は久しぶりすぎて、書くことが溜まりに溜まって収拾つかなくなってます。本当なら前回の続きから書くべきだとは思うんですが、どうも今ひとつうまくまとまらないので、ちょっと違う話(でもそこそこ関連性のある話)から先に書いていくことにします。待っておられる方、申し訳ないです…。



 さて、今回の本題は、巷でどういうわけか流行りつつあるらしい「草食系男子」という言葉についてです。この言葉を初めて知ったのは、以前取り上げたこともある森岡正博氏のブログで「草食系男子の恋愛学」という著書が紹介されているのを見てからでした。この著書に関しては、以前の議論の巻き直しの意味も含めて改めて検討しますが、今はさしあたり置いておきます。
 「草食系男子」なる言葉の初出はおそらく、日経ビジネスオンラインでの深澤真紀氏のコラムだと思われます(引用文中では「草食男子」になっていますが、本文中では「草食系男子」で統一します)

 かつて、男性にとって、恋愛とセックスは「積極的」(ガンガンいく)か、「縁がない」(もてない)かの、大きく2つに分かれていました。
 現在U35男子の中には、この2つのパターン以外に新しい人種が誕生しています。
 それは恋愛やセックスに「縁がない」わけではないのに「積極的」ではない、「肉」欲に淡々とした「草食男子」です。
 彼らのこうした淡々っぷりは、彼らと付き合う人、使う人に、自らの固定観念の根本的な転換を強います。上の世代には存在そのものが信じて貰えなかったりする難易度の高い男子、それが「草食男子」なのです。

 深澤氏は、以前はこのような男性は存在自体あるはずがないと思われていたのだが、近年特に目立って増えてきた、と述べています。その真偽はともかくとして、まずはっきりわかるのは、その定義の曖昧さと恣意性です。恋愛とセックスに対し「積極的」か「縁がない」かという好い加減な二分法を用いている時点で、そのことは説明を要しないでしょう。これに限らず深澤氏の「U35男子マーケティング図鑑」のコラムは、どれも概ねこんな感じです。
 とはいっても、「定義が曖昧である」というだけで特別何か問題があるわけではありません。定義が曖昧で文脈によって意味を変える言葉などいくらでもあるわけで、何か問題があるとすれば、それはその言葉の使われる文脈の中にあります。

 深澤氏はなぜ「草食系男子」という言葉を新たに作り出す必要があったのでしょうか? 恋愛やセックスに対して「積極的な男性もいれば消極的な男性もいる」という前提を氏が持っていたなら、このような新語は必要なかったでしょう。つまり、まず大前提として「男性は恋愛やセックスに対して常に積極的であるはず」という認識が氏にはあるわけです。だからこそ、コラムの中で氏は「草食系男子」に対して色々と分析を試みているんですね。

 そして、「草食男子」はそこそこもてるので、恋愛経験もセックス経験もあります。
 女子からコクられたり(編注:「告白されたり」の略)、ただの女友達でも飲んだはずみでうっかりHしてしまったり(しかもそのあと気まずくならない)、元カノ(同:以前付き合っていた女性、もと彼女)と久しぶりに会えばこれまた深く考えずにHしたりするので、ちゃんとした彼女がいなくても、恋愛やセックスに困ってもいません。
 「草食男子」が増えたもう1つの原因には、アダルトビデオやネットのアダルト情報があります。これが最近では大変充実していますから、性的な関心には、これである程度は対応できる、なんて考えているのです。
(中略)
 彼らにとって「男女に友情は成立するか」という命題は、ちょっとしたギャグにしか聞こえません。「昔の人はマジでそんなこと思ってたんですか?」とびっくりされてしまいます。
「だって全部の女と恋愛したりするわけないじゃないですか?」と思うのです。
 彼らは、異性の友人はおろか、異性の親友もいて、大事な存在なのです。 女子というものが、恋愛やセックスの対象だけではないことを知っているのです。
 その半面、ひとりの相手に恋して、徹底的に夢中になることもあまりありません。送り狼にならず、雑魚寝はOK、とは、そういうことです。

 ちょっと考えてみれば分かる通り、単に「恋愛やセックスに対して消極的な男性」というだけでこれらの分析があてはまるわけがありません。こうした「分析」は、「男性は恋愛やセックスに本来積極的なはず」であるのに、それがなぜイレギュラーになってしまっているのか?という問いを内包しています。すなわちこれは、未知のものにラベリングして安心を得るための「分析」であり「問い」です。
 それ故に、この「問い」の中には「恋愛やセックスに対して消極的な男性は以前から居たのではないか」という視点が十分に省みられず、安易な世代論に還元されてしまっているんですね。

 同様の指摘は、Uruchi氏Parsley氏によって既になされています。

恋愛(セックス)に消極的な男の否定的な呼称は「朴念仁」やら「根性なし」から「ヘタレ」「(アニメ)オタク」を経て「草食系男子」に言い換えられようとしているっぽい。別にこのエントリの書き手に恥ずかしくないの?と言いたいわけではないけど、「草食系男子」という言葉には、当然「草食系でない男子」がノーマルであり理想的な存在であるという意味が込められてると思うから、草食系男子=セックスにガツガツしてない男子はアブノーマルであって、新たにカテゴライズされる必要があるっちゅうハナシではないのかな。
 で、ですよ。この「草食系男子」という言葉に感じるのは、いかにもコピーライター的なワードですね、と(笑)。
 あと、深澤氏や、白河桃子女史のような、60年代生まれバブル経験女性が、ロスジェネ世代以下の男性を分析観察した上で生まれた言葉であり、実際に草食系男子が「ボク草食系なんです!」と自称している言葉ではないということも特徴として挙げられるだろう。つまり、「生きている」言葉ではない。

 ここでParsley氏の述べている「自称している言葉ではない」という点が非常に重要であると私は考えます。たとえ似たような人々を指すカテゴリーや言葉であっても、それが「自称」であるか「他称」であるかによって、その「政治的意味」が全く異なってくるからです。

 そのような例として、例えば「ゲイ」と「ホモ」や「オカマ」の違いが挙げられます。「ゲイ」が本人達自身による呼称であるのに対し、「ホモ」や「オカマ」はかれらに対する侮蔑語として用いられてきた歴史を持ちます。「歴史を持つ」とは単に過去の経緯のみを指すのではなく、現在に至るまでの、その語が使われてきた文脈の積み重ねを意味します。
 こうした言葉は「イレギュラーと見做した相手へのラベリング」を目的に使われるため、名指す側の規範(この場合は、男性は男性的に振る舞い女性を性愛の対象とすべき、といったこと)を揺るがさないように相手に過剰な意味を押し付ける機能を持ちます。例えば、女性的に見える男性を皆「オカマ」と呼び、同性愛的であると決め付ける、といったようなことですね。このような理解は差別的であるだけでなく、事実としても間違っています。

 自称としての呼称であっても、あとから外部者によって「ラベリング」され過剰な意味を押し付けられる場合もありますが、他称としての呼称が定義が曖昧で恣意的であれば、そのような「ラベリング」の可能性が高くなる(というか、最初からラベリングを目的として言葉が作られる)と言えるでしょう。

 話を元に戻しますと、「草食系男子」という言葉は、まさしくこうしたラベリングのために用いられています。この言葉によって守られているのは「男性は本来、恋愛やセックスに積極的であるはずだ」という規範であり、これはたとえ「草食系男子」を「これまでにない価値観を持つ新人類」というように高く評価する場合でも同じです。


 最近で「草食系男子」という言葉をめぐって最も話題になったのは、neji-ko氏のこの記事でした。ここでの話題はあくまで「ふられた相手をネタにした冗談」であり一般論ではありませんが、先に述べた「規範」がわかりやすい形で述べられています。

「でもさーうちらとしては『男はオオカミ!』だと思って育ってきたわけで、いきなりここにてき草食とか言われても困るよね」「大体どうしてこっちが『どうやってホテルに連れ込むか』とか考えなきゃいけないわけ?」「昔の男の子が女の子に『オレンジジュースだよー』てゆってスクリュードライバー飲ませて潰そうとした気持ちがわかるよね」「別にわたし特別セックスが好きだというわけでもなくてただ好きな人とやりたいというごく自然なことを望んでいるだけなのに……」「大体手をつなごうとして拒否されるとかなんなの?処女なの?」「十八十九の処女ならそういう反応もわかるけど三十目前の男がそれって」

 この記事が話題になった原因は、一部の人に冗談が冗談として理解されなかったこともあるでしょうが、何よりこの「規範の正当化」の言説にこそあったのだと思います。規範を「自然」だと思い込んでその只中にいると、それが規範であることにすら気付かなくなってしまいますが、その規範から弾き出される人にとってはそうではないのですから。