「非モテ論議」の傾向と対策

 気付いたら二ヶ月以上放置状態でした。
 この間ネットから離れていたわけではなく、ナツ氏のところの記事(「幼児的全能感の檻に入って出たがらない大人コドモ」と「『ベルセルク』が女性にウケる理由(わけ)」)にコメントしたり、シロクマ氏を囲むオフに参加したりもしていたんですが、このブログだけ見ている人には何の動きもしていないように見えたと思います。議論関係で放置状態になっていた何人かの方には大変申し訳ありませんでした。掲示板等に対する返答記事はこれから上げていきます。


 さて、今回は、ナツ氏のこんな記事が話題になっているので、ちょっとそれに言及してみます。

 タイトルは「非モテ論議が失敗するありがちなパターン」なんですが、要するに「非モテに対して『こうすればモテるよ』というアドバイスをすると、どのようにしても反発を買う」ということですね。ナツ氏はtemtan氏の突っ込みに対して返答記事を書いておられますが、その中で次のように述べられています。

これから非モテについて言及する人に対して、「非モテ論議においてこういう提案をすると、こういう反発をされる可能性がある」という、注意喚起の意図があって書いてます。前回記事で述べているように、もともとはこのブクマとかこのブクマのコメントを読んでいて考えたことですから。

 さて、temtan氏の指摘しておられるナツ氏の記述の矛盾点に関しては、ここでは特に触れません。そんなことよりも、ナツ氏の記事には一つ重要なポイントが抜けています。「これから非モテについて言及する人に対して注意を喚起」したいのであれば、「ではどのように言及すればよいか」という部分に対して一言あって然るべきだと思うんですが、その点が曖昧にされているように思えるんですね。
 そこで、ナツ氏の記事を「非モテ論議で無駄な反発を受けないためにはどうすればよいか」というナツ氏からの問題提起と考え、「非モテへの対応」に対する具体的な提案をしてみたいと思います。ナツ氏の発言の矛盾をあれこれ取り沙汰するよりも、この方がいくらか建設的でしょう。

 元々のナツ氏の記事では、次のように述べられていました。

「なぜ俺はモテない(異性に承認されない)のか?」
とネットで悩んでいる非モテに向かって、「こういう対応をすれば異性と親しくなれるのでは」と言及すると、

(1) 「女の機嫌を取れと言うのか」「女に媚びろと言うのか」「お前は女に都合のいい男を作りたいだけなんだろ」「で、お前は何をしてくれるんだ?」とキレられる

(2) 『モテたいと思っていない』と主張する非モテが飛んできて、
非モテにモテのためのアドバイスをするのは、恋愛至上主義に脳が侵されている証拠。こっちはモテたいと思っていないのに大きなお世話だ。お前のような存在が恋愛資本主義をのさばらせ云々」
と叩かれる

(3) 「モテたくないならモテなくても良いじゃん? 同じとこでぐるぐる回ってないで、一人で趣味にでも没頭したらどうだろう」と提案するとキレられる
(以下略)

 ここで「こういう対応をすれば異性と親しくなれるのでは」という提案をすることが前提になっていることに注意してください。この点にさえ気をつけておけば、ナツ氏が挙げておられるような強硬な反発を受けることはありません。具体的には、「私はどうすればモテますか?」という問いに対して、「あなたはどうしてモテたいのですか?」と問いで返せばいいんです。

 そもそも「モテる」という日本語の意味はかなり多義的ですし、以前こちらの記事でも述べたように「恋愛対象として見られること」は必ずしも望ましいこととは限らないのですから、「どうしてモテようと思うのですか?」という問い返しは別に不思議なことではありません。むしろこれは「どうすればモテますか?」と訊く側が先に説明すべきことです。何か提案するにしても、「理由」によって提案の内容は全く違ったものになるはずですから。

 では、なぜ「非モテ」は「どうしてモテたいと思うのか」を語ろうとしないのでしょうか? はっきりとは分かりませんが、その理由の一端は彼らの自己言及の拙さにある、と私は考えています。「非モテ」に限らず自己評価の低いタイプの人にはありがちなことなんですが、「恋愛することは価値があることだ」という規範意識が、自己を反省的に語り直すことを阻害するんですね。
 「あなたはどうしてモテたいのですか?」という問い返しは、そのような「非モテ」に対して自己を語り直すことを促すものでもあります。それがうまくいけば、「非モテ論議」は特別不毛なものにはならないでしょう。たとえうまくいかなくても、少なくとも激しい反発を買うことはないと思います。



 けれども、「非モテ」に対してこのような「どうしてモテたいのですか?」という問い返しをする人を、どういうわけか殆ど見かけません。ナツ氏の言っておられるように、多くの人はいきなり「モテるにはこうすればいいよ」と自分の経験を交えて語ろうとしてしまうんですね。反発を買うかどうかはともかく、それでは有効なアドバイスになりにくいことが容易に推測できるにも関わらず、です。

 この原因は「非モテ」側が抱えているものと同じなのではないか、と私は考えています。つまり、「モテるにはこうすればいいよ」と語る側もまた「恋愛することの価値」を自明としており、「自分はなぜ恋愛したいと思うのか」を自分に問い返すことをしていないのではないか?ということです。
 だとすれば、「非モテ論議」が平行線を辿りがちになるのは、当然の結果だと言えるでしょう。「なぜ恋愛したいと思うのか」という根本的な問いをお互いが避けながら、「恋愛は価値があるはずだ」という前提だけは共有しているという奇妙な状態で、お互いの「経験」だけを根拠に論じ合っているのですから。

 「非モテ」であるかないかに関わらず、「なぜ恋愛したいと思うのか」を今一度、自分自身に問うてみては如何でしょうか?


(4/15追記
※ この記事に関しては、後で大幅に考えを改めています。「非モテ論議」と語りえぬ欲望をお読みください。