「戦略」を立てるのは誰?

 最近、一時期に固まって更新するパターンになってますが、久々に生物学絡みの話です。
 シロクマ氏のこちらの記事より引用。

 ああ、やっぱり強姦の話ひとつとっても、「べき論」とか「当事者がどうのこうの」よりも、生物としてレイプが進化する妥当性があったのか、あったとしたらどういうものなのか、について考えを巡らせたり本を読んだりするほうがずっと僕は興味をかき立てられるんだなぁと感じた。やっぱり自分は、まず生物としてどうなのかに興味があるらしい。

 この記事では「レイプという戦略の進化学的妥当性」が様々な角度から考察されているんですが、進化生物学を知らない人はまずここで引っかかるはずです。「レイプ」が「戦略」であるとは一体どういうことなのか?

 そもそも「戦略」とか「妥当性」というのは、それを構築し判断する主体、すなわち人間が居なければ成立しないはずなんです。普通の用法で考えれば、「レイプという戦略」とは「一人の人間が、何らかの目的のためにレイプを計画する」ことを意味します。しかしながら、シロクマ氏の言う「戦略」とはそういう意味ではありません。

 チャールズ・ダーウィン以来、自然淘汰的進化論の説明には比喩的な表現が多用されてきました。中でも最も洗練された比喩を用いたのが、「利己的な遺伝子」を著したリチャード・ドーキンスです。彼は「多様な遺伝子を持つ個体の中で、より環境に適応できる形質を持った個体が子孫を残しやすく、適応的な形質ほど残りやすい」という自然淘汰の命題を「自然淘汰とは遺伝子同士のサバイバル・ゲームであって、個体は『遺伝子の乗り物』に過ぎない」と言い換えてみせました。
 従って、「戦略」というのは「各々の遺伝子が発現させる形質のパターン」のことであり、「戦略を立てる主体」は遺伝子そのものなんです。もちろん「遺伝子」が何かを考えたり判断するはずはないので、これも一種の比喩表現です。「適応的な形質を持つ遺伝子」のみが残っていく「遺伝子プール」という集合を前提すれば、「遺伝子同士が適応度を巡って争っている」ように「見えてくる」という話なんですね。

 こうした概念は、近年の複雑な進化論を理解する上で役に立つものではあるんですが、「戦略」の主体があくまで「遺伝子」であり、比喩表現に過ぎない、ということがしばしば失念されます。シロクマ氏も当然この点には注意を払っておられるんですが、一つ大きな落とし穴があります。レイプを遺伝的戦略と考える捉え方は、レイプという行動傾向が遺伝するということを前提にしなければ成り立たないんですよ。

 人間の行動は学習や知能行動によるところが多く、本能行動に基づくものはごくわずかです。レイプのような性犯罪は大半が計画的な犯罪であるとされており、遺伝的傾向によって行動が決まっていると見なすのはかなり無理があります。
 そのように考えていくと、レイプを遺伝的戦略と見なすシロクマ氏の言説は「レイプは衝動的な犯罪である」という誤った認識を助長することにもなりかねません。シロクマ氏本人はそのようなつもりは全くないとは思いますが。



 さて、私はむしろ、シロクマ氏がなぜこのような単純な落とし穴を見逃してしまったか、という点に興味があります。

 シロクマ氏は件の引用部分で「レイプが進化する妥当性」について興味がある、と述べておられます。この「妥当性」というところが問題です。シロクマ氏に限らず、生物学に「なぜこれはこうなっているのか」という「妥当性の説明」を求める人は少なくないでしょう。

 これが実は、そもそもの元凶なんです。自然科学は現実の世界を客観的に捉えようとする学問ですが、現実世界には「意味的な整合性」があるわけではありません。世界に「意味」を付加するのは私達人間だからです。
 従って、自然科学においては「意味の連関」として捉えることが困難な事象がしばしば出現することになります。ところが、人間は「意味」的な解釈が全くない状態では物事を捉えることが困難なので、何とかして事象に「意味」や「イメージ」を付加し、理解しやすくなるように工夫するわけです。そうした工夫の一つが、先に挙げた「利己的な遺伝子」のような比喩表現であるわけですね。

 ここで注意すべきなのは、付加された「意味」はあくまで世界を理解するための道具に過ぎず、「意味=世界」ではない、ということです。シロクマ氏の問題は、「レイプという事象の妥当性(=意味)」を物事の実体そのものであると考えてしまったことにありました。

 この種の問題はおそらく、自然科学が発達すればするほど拡大していくでしょう。私達の脳の容量に限界がある以上、私達は世界を「意味」によって圧縮しなければ「世界を見る」ことが出来ません。しかしだからこそ、世界を安易に「意味的に解釈」することの限界と危険性とを、知っておく必要があるのではないでしょうか?




(7/6追記
 カクレクマノミ氏がコメント欄で疑問を呈しておられるので、レイプについてもう少し詳しく見てみましょう。

 まず、レイプがどのようなものかを知っておく必要があるでしょう。性暴力情報センターレイプにまつわる迷信を参照すれば、

  • レイプは基本的に、計画的な犯罪である。
  • レイプは過剰な性衝動によって起こる犯罪ではない。
  • レイプは特異な精神構造によって起こる犯罪ではない。

ということが理解できるはずです。

 そうすると、ある当然の疑問が浮かんできます。「レイプを促す遺伝子が仮に存在するとしたら、どんな働き(発現)をしているのか?」ということです。ある特定の衝動を強化したからといってレイプが促進されるわけではないのですから、この遺伝子は「レイプの計画」を立てる段階で人間の脳内に影響を及ぼしているとしか考えられません。

 そうなってくると、「脳の構造に関わる複数の遺伝子の組み合わせで、何らかの複合的作用によってレイプという行動をする可能性を高めている」とでも表現するほかなくなってきます。ところが、複数の遺伝子が関与するのであれば、単純な自然淘汰の図式に組み入れることは難しくなります。というか、これ自体「レイプが遺伝的傾向である」という前提を説明するための屁理屈になっています。

 もっと言えば、「レイプという行動傾向を高める遺伝子が〜」という言明自体が一種の屁理屈です。ある遺伝子がある種の脳内物質に関与することで「レイプを実行に移す可能性」を高めたとしても、それが「レイプ」のみに関わっているとは考えにくいわけです。その遺伝子が自然淘汰されなかったのが「レイプという行動傾向を高めた」からなのか、他の傾向に関与したからなのか(それとも単なる偶然なのか)分かりません。

 このようなことを加味していけば、レイプが遺伝的傾向である可能性、適応的戦略として残ってきた可能性は限りなく低いことが分かります。
 このことは全く別の問題を示唆します。すなわち「レイプが遺伝的傾向である」と言うためには、「レイプは衝動的な犯罪である」ということにしておいた方がはるかに理解しやすいということです。つまり、「レイプが遺伝的傾向である」という言明は、「レイプが衝動的な犯罪である」という間違った想定を暗に前提してしまうことになるわけです。

 私がシロクマ氏の考察を杜撰だと考えるのは以上のような理由です。精神科医である氏に遺伝学の知識がないとは思えませんから、こうした発想は「レイプという行動には進化・適応的根拠があるはずだ」という氏の「信仰」によるものでしょう。こうした「信仰」の問題性は既に述べたので繰り返しません。