「クリスマス粉砕デモ」雑感

 久々の更新になります。
 長いこと放置していましたので、年末・年始にかけてしばらく集中して更新していきたいと思います。放置状態となっていた掲示板でのイカフライ氏との議論もエントリ化する予定です。

 さて、今回は、先日参加してきた革命的非モテ同盟主催の「クリスマス粉砕デモ」について、実際に参加してみた感想などを述べていきたいと思います。

 この一年、特に6月の「アキハバラ解放デモ」以降、革命的非モテ同盟の古澤克大氏はすっかり渦中の人となっていました。デモ自体は数百人規模の人が集まったものの各方面から批判が集中し、デモ実行委員の間で批判への対処をめぐっていざこざが発生した挙句、一部の実行委員の関係者がコミケ襲撃(盗撮未遂)事件を起こして問題になりました。さらに、今回のクリスマス粉砕デモの直前に、デモ批判の中心人物であったplummet氏はてなポイントによって懐柔しようとした事実が明らかになり、現在も激しい批判に晒されています。

 今回参加したのは、デモそのものへの興味もありましたが、何より「古澤氏に直接会って話を聞いてみたかった」というのが最大の動機でした。最近の迷走ぶりを見るにつけ、氏の精神状態を少なからず心配せずには居られませんでしたし、また、氏が「非モテ」について根本的にどのように考えておられるのか、についても前々から疑問に感じる部分があったからです。



 デモ自体の様子については、墨東公安委員会氏のデモ見学記を参照して戴ければ、大体の雰囲気は掴めるかと思います。参加者は10人余り(全て男性、デモ終了後に女性の方が来られました)で、おそらく去年のデモと同規模程度だったのではないでしょうか。
 古澤氏は 「数日前に参加予定の人から電話をもらった時は、精神的に追い詰められていて『大丈夫ですか?』と心配されてしまいました」 と話しておられましたが、その日お会いした時には既にそのような様子は感じられず、お元気そうでした。

 デモ後の打ち上げの席で話していて驚いたのは、今回の参加者の中に「自分はモテなくて辛い」と実際に思っている人がほとんどおらず、むしろ「非モテ」という概念に疑問を持っておられる方も少なくなかったことです。ある参加者の方は 「自分はもう十数年『恋愛』と縁がないが、そのことをいちいち気にかけたこともない。生きることに精一杯だったからだ。だから、自分には『非モテ』という自意識はよく分からないのだ」 と言っておられました。少なくとも、今回のデモの参加者が「『非モテ』の同志として団結した集団」ではなかったことだけは間違いありません。
 参加者の方々は、恋愛至上主義打倒といった主張はさておき、何よりも古澤克大という人物のキャラクターに惹かれて集まってきた人達のように見えました。去年からの「常連」の方が口々に 「古澤書記長はリアルの繋がりよりもネットをあてにしすぎる」 と苦言を呈しておられたのが、非常に印象に残っています。



 肝心の古澤氏に理論的な面について幾つか尋ねてみたところ、「理論的な側面はその場その場の思いつきであって、ネタ的に面白くて『非モテ』の利益になれば良いと思っている」と言われてしまいました。「デモはパフォーマティヴで面白くなければならない」というのは確かにその通りだと思います。が、古澤氏はそれのみに拘って「何のために活動しているのか」を見失ったがために現況の苦境に陥っているのではないのでしょうか? そこで、活動の根本的な動機について尋ねてみたのですが、「ネットの世界で承認され、人気を得るため」という答えしか返ってきませんでした。墨公委氏の見学記の中で触れられている「古澤書記長は恋愛をどう捉えているのか」という質問も、このような対話の流れの中で私が持ち出したものです。結局、うまくはぐらかされたような感じで終わってしまったのですが。

 古澤氏はどうやら「非モテにとっての利益や正義」なるものが存在しており、それに沿って活動していこうと考えておられるようです。しかしながら、「非モテ」の利益、ないし利害というのは、「非モテ」概念自体が曖昧である以上、曖昧なものにならざるを得ません。社会に政策的に働きかけても「非モテ」や「喪男/喪女」は何ら得をするわけではない、ということはこれまで様々な人からさんざん指摘されてきました。それに、そもそも「非モテ」はどうなりたいのか?と問われたとき、こうなりたいのだという像を誰も持っていないとすれば(実際誰も持っていないのですが)、共通の利害や正義という形での「団結」は元々成立しないはずなんですね。

 利害なるものが規定できないことが分かった上で、それでも「何が『非モテ』の助けになるのか」を考えることは出来るのか? 少なくとも、今の古澤氏のような態度からは、そのような答えは出て来ないことは確かでしょう。しかし、これは古澤氏が今後活動していく上で、必ず問うていかねばならないことだと思うのです。
 次回は、直接お会いした際に古澤氏に対して言い足りなかった部分について、まとめて述べていきたいと思います。