童貞で何が悪いか!

 Maybe-na氏やLeiermann氏への返信記事の前に、ひとまず別の話を。
 引用はカマヤン氏のこちらの記事からです。

童貞の苦しみは誰にも打ち明けることができず、不定期に襲う激しい無力感というかたちをとるかな。だから表に出にくいだろうね。童貞の苦しみを抱えた人は決してその苦しみが童貞であるからだとは言わないからね。激烈な孤独感と闘わないとならないし、猛烈な憎悪の感情が不定期に襲うことになる。
(中略)
童貞問題については深刻すぎて言葉が続かないが、私あたりがこの件についてちゃんと語らないと、言説が接続しなそうにも思う。一言言っておくと、社会は童貞を救済する方法をかなり早急に措置するべきだ。どういう措置が可能かなかなか思いつかないが。
童貞は被害者でもなんでもないが、いや、ある種の被害者として見てもいいのかな、童貞でいたくて童貞であるわけではない。いやたしかに少数派で童貞でいたくている人もいるだろうけどさ。一種の遠まわしなマインドコントロールがなされた結果だと思うんだよね。で、童貞であり続けることが当人が望むところだとは私には思えない。

 そもそも「童貞」とは、苦しまなければならないような状態なのでしょうか?

 童貞とは性行為未経験の男性を指して言う言葉ですが、その意味は「性行為未経験」それ以上でも以下でもありません。いかなる理由があろうと、性行為未経験でさえあれば1歳だろうと100歳だろうと「童貞」です。
 童貞であり続けることが「苦しみ」であるとするなら、「性行為を経験しないでいると男性は苦しむことになる」すなわち「性行為からしか得られないものがある」ということになります。性行為によって得られるものを端的に言うことは困難でしょうが、性行為でしか得られないものを指摘することは難しくありません。すなわちそれは、性行為におけるスキル・技術と、性的なスキンシップによるコミュニケーション、及び性に関わる実践的知識です。(性行為によって得られるものとして「性欲の満足」といったものを挙げる人も居るでしょうが、性欲そのものは自慰行為などで解消することも可能なのでここでは除外します。)
 これらは、性行為と無縁の生活をしていればほとんど不要なものと言っていいでしょう。少なくとも、それが無くて苦しむということはあり得ないはずです。

 では、カマヤン氏の言う「童貞の苦しみ」とは一体何でしょうか?
 性行為未経験というだけで「激烈な孤独感」や「猛烈な憎悪の感情」に苦しむことなどあり得るのでしょうか?



 この問題は、「童貞」に向けられている差別的視線を考えることで理解できるようになります。

 「異性とうまく付き合えない若者」はマスコミで時折取り上げられ、「異性とうまく関係を結べないことが原因で性犯罪に至る」などと言われることすらあります。この「異性とうまく関係を結べない」というのは、童貞であることのいわば婉曲表現です。
 こうした見方の背景には、「異性の気持ちを理解するには、性的な接触が不可欠である」という考え方があります。これには、性行為に対する「通過儀礼」的な考え方も関係していると思われます(性行為を経なければ「大人」になれない)。要は、「童貞は女性の気持ちを理解できない」というのが一種の社会通念のようになってしまっているんですね。もちろんこれはおかしな話で、この論法が正しいなら「同性愛男性は女性の気持ちを理解できない」ことになってしまいます。
 このような「性行為(または恋愛)を通してしか異性を理解することができない」という発想は、非モテが囚われている「モテのヒエラルキー」と同質のものです。

 「童貞の苦しみ」とはすなわち、このような差別を内面化し、「童貞である自分は異性の気持ちを理解できない(または大人になりきれない)駄目な人間だ」という自己不全感を抱いてしまうところにあるわけです。
 「童貞に苦しむ」男性は、このような自己不全感や強迫観念を抱いているがために苦しんでいます。ということは、彼らが性行為を経験して童貞から脱しても、自己不全感が拭えない限りは苦しみ続けることもおおいにあり得るわけです。もっと言えば、彼らの苦しみの大本であるヒエラルキーへの幻想は、性行為を経験したところで消えるわけではありません。却って強化される場合すら考えられるでしょう。
 「童貞の苦しみ」を「性行為未経験であること自体の苦しみ」と捉える限り、何の根本的な解決にもなりません。

 従って、カマヤン氏の提案する「童貞への救済」は、何ら救済にはならないんです。というより、「童貞は救済すべきもの」という発想そのものが「性行為(または恋愛)経験者は未経験者よりも立場が上である」というヒエラルキーに基づく発想に他ならないため、逆に「苦しんでいる童貞」達を追い詰めることにしかなりません。カマヤン氏の視線は、童貞を差別する人達の視線と本質的には同じなんです。


 「童貞であること」が悪いのではありません。
 「童貞である自分は大人の男性として不全である」という思い込み、それこそが問題なんです。